東京オリンピック2020・オリンピックバトミントン代表の桃田賢斗選手は男子バトミントン界のエースとして注目が集まっています。バトミントン界のスター選手、桃田選手がここまで華やかしい結果を出すまで、どのような幼少期時代を過ごし、過去の経歴はどのようなものだったのでしょうか?世界ランキング1位に輝くまではもちろん、その後もかなりの葛藤や苦悩があったようです。桃田選手の実家や家族構成とともに桃田賢斗選手の経歴をwikiプロフィール風にまとめました。
桃田賢斗wiki風プロフィール・実家はどこ?
- 名前:桃田賢斗(ももたけんと)
- 身長:175cm
- 出身地:神奈川県三豊(みとよ)市三野町
- 体重:72kg
- 生年月日:1994年9月1日
- 干支:戌年
- 星座:乙女座
- 血液型:A型
- 所属(就職先)NTT西日本
- 利き腕:左
緑豊かな自然に囲まれ、山や丘のすぐそばで育った桃田賢斗さん。実家は神奈川県三豊(みとよ)市三野町です。三野町にある実家は、のどかな田園地帯の中に建っています。この実家で小学生時代まで過ごしました。テレビの取材時に桃田さんのご両親がインタビューに答えていましたが、実家はセコム付きの大きな一軒家です。また幼い頃に練習に使っていたという、お手製のバトミントンコートが描かれた駐車場は車3台が入るスペースがある大きな駐車場だったので比較的裕福な家庭に育ったのがわかりますね。その後バトミントンの遠征で桃田賢斗さんは福島県へ移住しています。
生い立ちや学歴
桃田賢斗さんの『賢斗』という名前はお父様がスーパーマンの主人公「クラーク・ケント」から文字をとって「賢斗」と名付けました。スーパーマンといえば、架空のスーパーヒーローのイメージがありますが、父親は「世界で一番強い人になれるように」という思いを込めたようです。
名前の通りバトミントンで世界1位を獲得し世界一ランクに君臨し続ける最強プレイヤーにまで成長してしまったのですから、お父様のつけた名前の由来通りになったことが凄い!と感じてしまいます。
出身小学校。
【バドミントン 男子シングルス】
— ピーチ太郎2nd (@PeachTjapan2) July 25, 2021
桃田賢斗選手 初戦勝利❣️
とにかく
凄まじく強かった🥶 pic.twitter.com/MkNs5R6TsQ
桃田賢斗さんの出身小学校は三豊市立吉津小学校です。バトミントンを始めたきっかけは2つあります。1つ目は「姉がバトミントンをやっていたのがきっかけ」です。姉がバトミントンをやっていたのがきっかけで、桃田選手は小学校1年生の時に地元のバトミントンクラブに入りバトミントンを始めました。2つ目のきっかけは桃田選手、元々はソフトボールをやっていたこともあり、「野球と打ち方が似てるから」という理由もあって「野球が上達するように」と野球のトレーニングの一環も含めバトミントンを始めました。小学校時代までは野球とバトミントンを二刀流で頑張ってきた桃田選手ですが、かなり運動神経は良かったようですよ。桃田さんの父は実家のお父様の駐車場にバトミントンコートを書いたりして小学校時代から桃田さんのサポートを懸命にしていました。
おはようございます!
— まりりん姫@フラワー&田辺誠一さん&80年代90年代ソングス (@maririnhime01) July 28, 2021
いつもありがとうございます😊
バトミントンの桃田賢斗選手が敗退してしまい、とても残念です😭
桃田選手お疲れさまでした💦
これからも応援しています💓
皆さまにとって良い一日でありますように🍀
今日もよろしくお願いします🌷🎶✨ pic.twitter.com/oKsZffAk8g
小学校6年生の頃には全国小学校選手権シングルスで優勝。実は桃田さんはバトミントン以外にもソフトボールもしており投手兼内野手をしていました。桃田さんの利き腕は左ですが、同じ左打者として巨人の高橋由伸選手にも憧れていたようです。ソフトボールチーム内でも本塁打王も取るほどの実力者でした。
バドミントンの桃田賢斗選手野球の始球式に出て投げたみたい!テレビにみたかったなー…… pic.twitter.com/ynuwHkXVsB
— バド垢・こーき。🏸 (@10610_kuki) March 25, 2016
もしかしたら、バトミントンへ進む道の他に野球への道も考えていたのかもしれないですね。小学6年生でシングルスで優勝したことをきっかけに中学校進学はバトミントンの強豪中学へ進学することを決意します。
出身中学校。
出身中学校は福島県の豊岡町立豊岡第一中学校時出身です。
同学校はバトミントンの名門で桃田さんは、2009年の中学3年生の時に全国中学校バトミントン大会で優勝しました。また中学進学時にはソフトボールはやめてバトミントン一筋で頑張り始めます。小学生時代から運動神経が良かったという桃田選手のバトミントンの腕は小学6年生で開花したのですね!また全日本ジュニアバトミントン選手権大会でもベスト4入りしています。中学生で全日本総合選手権の予選にも出場しましたがこれは男子選手(中学生)として史上初めてとなりました。中学生の頃から年上の人、高校生や大人に混じって華々しい結果を残してきた桃田選手の活躍は素晴らしいものが感じられます。さらに高校もバトミントンの強豪に進学します。
出身高校~世界ランキング1位になるまでの経歴
出身高校は福島県立富岡高等学校です。
高校進学後の桃田選手はさらに世界への挑戦へと羽ばたきます。高校2年生の時には世界ジュニア選手権男子シングルスで惜しくも準優勝、銅メダルとなりました。しかしその悔しさをバネに、翌年に行われた正解ジュニア選手権では優勝を飾ります!インターハイの結果は2011年にダブルスで優勝し、2012年にはシングルスで優勝と活躍しています。
また国際大会では2012年アジアユース選手権男子シングルスで金メダルを獲得し、さらに世界ジュニア選手権では個人戦男子シングルスで優勝して日本勢で初めてジュニア世界一に輝きました。その後、高校卒業までにオーストリアで開催された国際大会などで優勝し、世界ランキングは50位まで浮上するといった快挙を成し遂げています。
桃田賢斗の家族構成・兄弟(姉・妹)
桃田選手の家族構成を見ていきましょう。
- 父:桃田信弘さん
- 母:桃田美千子さん
- 妹:桃田めい子さん
- 弟:桃田賢斗さん(本人)
の4人家族です。
父・信弘さん。
父親は香川県三豊市にある会社「ミツノ鉄工」という会社に勤めています。現在わかっている最終情報は2013年の時点では専務取締役ということになっています。桃田選手のお父さんはもともと強烈な阪神ファンでした。その影響もあってか桃田選手がソフトボールをやっていた時期には野球の「江夏二世」のようになってほしいという願望があったよううです。バトミントンに関してはお父様自身全くチャレンジしたことのない分野でしたが独学で勉強しながら桃田選手のバトミントンの練習に積極的に関わってきました。家の駐車場をバトミントンコートとして練習に使っていたのは有名な話になっています。
桃田選手はネットすれすれの見事なヘアピンショットが有名ですが、このフォームはお父様が家の中のネットと同じ高さのゴムをつなぎ合わせネットすれすれでヘアピン練習に取り組んできた特訓の成果だと言われています。
母・美千代さん。
お母様の美千代さんの詳しい情報は出てきませんでしたが、桃田選手の練習していた様子は毎日欠かさずに側で見守っていた様です。スポーツを懸命に取り組んでる桃田選手を見て母親としてできる食事面や健康面をサポートされてきたのでしょう。
姉・めい子さん。
姉のめい子さんは桃田選手より3歳年上で、桃田選手がバトミントンを始めたきっかけになった存在です。姉が最初にバトミントンを始めて桃田選手も始める様になり姉弟揃って「三豊ジュニア」というクラブチームでバトミントンを始めています。兄弟揃ってバトミントンに夢中になる姿はご両親からしても頑張って支え、応援してあげたいという気持ちになったでしょうね。家族が一丸となってバトミントンに夢中になれる環境が今の桃田選手のキャリアに繋がったということが分かります。
まとめ
今回は桃田賢斗選手の経歴や幼少期と家族構成についてまとめました。高校時代は在学中に東日本大震災を経験し、震災当日は海外に遠征に行っていた桃田選手ですが一時は生活とバトミントンの練習場所を失うと行った経験もしてきた桃田選手。震災の被害に遭いながらも2012年に世界ジュニア選手権で見事に優勝を果す結果を残したのは並大抵の努力ではなかっただろうと思います。災害経験・違法賭博・交通事故・新型コロナ感染など、様々の苦悩や困難を乗り越えてきました。逆境にもまっすぐに立ち向かってゆく姿はファンがこれからも応援していきたくなる折れない心の持ち主「桃田賢斗」選手の魅力なのかもしれませんね。これからも引き続き応援して行きたいと思います!