今日はパーキンソン病であることを公表し、2018年現在自身のドキュメンタリー映画が話題となっている、株式会社ダイヤモンドダイニングの創業者、松村厚久さんについて気になることを調べてみたいと思います。
まずは松村厚久さんのプロフィール(経歴)や学歴(出身中学・高校・大学)について調査し、まとめてみたいと思います。
また、気になる年収や、パーキンソン病の今現在の病状についても触れていきます。
病気に負けず突き進む松村厚久さん、かっこいいです!
経歴!
松村 厚久(まつむら あつひさ)
生年月日: 1967年3月29日
年齢: 51歳 (2018年11月現在)
出身: 高知県
趣味: サッカー観戦
1月16日(火)の「小松成美の人成塾」に向け、特別講師 DDホールディングス代表取締役社長 松村厚久さんのノンフィクション「熱狂宣言」よりスタッフが選んだ一節が @NarumiOfficial とFacebook公式でランダムに更新します。 #熱狂宣言 #人成塾 ##松村厚久 pic.twitter.com/KrDRkQi4Wn
— 【公式】小松成美staff@M愛すべき人がいて (@NarumiOfficial) December 27, 2017
高知県で生まれ育った松村厚久さんは、小学生の頃は野球少年。中学でも野球を続けるために、野球の強豪校である私立高知中学校に進学しました。
しかし同級生のうち100人以上が野球部に入部するという壮絶な環境であったため、3年間やってもレギュラーになれないと判断し、サッカーに転向。
エスカレーター式で進学できる高知高校には進学せず、勉強して県内の公立高校のトップである県立高知追手前高校に入学します。
高校でもサッカー部に入部し、MF(ボランチ)として活躍。キャプテンも経験したのだそうです。
そして大学は大都会での生活に憧れて東京の大学を選択し、上京。
大学時代は低価格で大人気の飲食店でアルバイトをしていました。
そして大学卒業後は、高級エンターテインメントサービスとして主に有名ディスコを複数経営していた「日拓エンタープライズ」へ就職。
当時全盛期を迎えていたディスコ業界で働きます。
そして六本木の「エリア」と、「シパンゴ」というディスコで店長も務めたのだそう。
しかし次第にディスコブームにも翳りが見え始め、会社もパチンコ店経営にシフト。
27歳で結婚したこともあり、独立に向けて始動します。
そして1996年に会社を退職し、飲食店開業の準備を開始。
しかし資金集めが難しかったため、1996年に「A&Yビューティーサプライ」を設立し、都内で日焼けサロン「マーメイド」を始めると、5年間で4店舗の展開に成功。
そして2001年、34歳のときに念願だった飲食店の第一号店「ヴァンパイアカフェ」を銀座にオープンさせます。
お店のサイトはこちら。
ヴァンパイアカフェは、お化け屋敷がテーマの「コンセプト・レストラン」なのだそうですが、その後も「迷宮の国のアリス」「竹取百物語」「三年ぶた蔵」「オペラハウスの魔法使い」など、各店舗ごとにテーマを設け、それぞれの街に合わせた異なる業態のお店を作り続けました。
翌年2002年12月、社名を「株式会社ダイヤモンドダイニング」に変更。
2007年3月、現JASDAQへ上場。
2008年、外食産業に最も影響を与えた人物として「外食アワード2007」を受賞し、「飲食業2007年度ランキング」では、店舗売上伸び率第一位に選ばれています。
そして2010年10月、業界初の「100店舗100業態」を実現。
2011年の東日本大震災以降は、このようなマルチコンセプト戦略から、厳選した立地へ高価格帯のお店を出すなどの「マッチブランド戦略」へとシフト。
アミューズメント事業やウエディング事業も行っているそうです。
2015年7月、東証1部上場。
またこれと時期をほぼ同じくして、書籍「熱狂宣言」にて、松村厚久さんが若年性パーキンソン病であることを公表しました。
2017年9月、「株式会社DDホールディングス」を設立。松村厚久さんは代表取締役社長兼グループCEOに就任します。
2018年にはグループ全体で国内外合わせて約500店舗を展開中。
年商は約500億円。従業員数は約1万人と、「売上高が300億円が限界」と言われている飲食業界において、「1000店舗・売上高1000億円」の達成を目標に掲げています。
また、2017年に映画プロデューサー奥山和由さんが「熱狂宣言」を読んだことがきっかけとなり、松村厚久さんのドキュメンタリー映画「熱狂宣言」を制作することが決定。
2018年11月より、六本木ヒルズのTOHOシネマズにて上映されています。
出身大学は?
松村厚久さんの出身大学は、日本大学理工学部であることが知られています。
憧れの東京に住んでみたくて、東京の大学を受験し、日大に決めたのだそうです。
そして日大に入学すると、大学4年間、イタリアンレストラン「サイゼリヤ」でアルバイトをしていたのだそうです。
今でこそサイゼリヤは全国に1000店舗以上を構えるほどの規模ですが、松村厚久さんがアルバイトをしていた当時は、創業者である会長がお店でフライパンを振っており、まだ20店舗くらいだったのだそうです。
そしてものすごく繁盛していて、朝から晩まで行列が絶えず、アルバイトであった松村厚久さんにまでお客さんが「美味しかった!」と声をかけてくれたのだそうです。
その経験がとてもうれしくて、アルバイトを始めて数か月後には、「飲食業が天職だ!」と思ったのだそう。
そんな経験から、将来は飲食業界で勝負をしてみたい、と思うようになったのだそうです。
今のビジネスでの成功を成し遂げるためのきっかけが、大学時代のアルバイトにあったんですね。
天職だ!と思って実際に4年間続けたということで、やはり松村厚久さんには飲食業界がそもそも合っていたのだとも思います。
年収はどのくらいなの?
会社としては年商500億円を突破するなど、右肩上がりのようなのですが、実際の松村厚久さんの年収はどのくらいなのでしょうか。
2016年に発表された日本の高額納税者番付によると、松村厚久さんは、
総資産 8億4000万円
年収 1億8000万円
とのことでした。
2018年はこれよりももっと増えている可能性はありますが、それでも年収が想像より少ないな~と思ったのは私だけでしょうか。
ちなみにZOZO前澤友作さんは2016年40歳で総資産約2500億円、年収は約18億円。
業界は違いますが、前澤友作さんのスタートトゥデイは年商1000億円というところですので、年商で言うと松村厚久さんの倍。
そこからしても、やはり松村厚久さんも年収5~10億はあってもいいのでは?と思ってしまいます。
しかし、松村厚久さんはお金儲けのために事業をしているわけではない、と公言されており、ご自身の年収にはあまり関心がないようなのです。
実際、個人資産は会社の持ち株くらいしかないのだそうです。つまり、自分で使える自由なお金ではない、ということです。
普段も、お金は洋服に使うくらいなのだそうで(オシャレですよね!)、「好きな服が買えて、人が喜んでくれることができれば、おカネはそれほど欲しいとは思わない」とインタビューでも答えていました。
あくまでも、今の事業そのものが“楽しくて”やっている、という松村厚久さん。
だからこそ、松村厚久さんも成功した実業家のお一人となったようでした。
やはり、「おカネ儲けが目的のビジネスは成功しない!」というのは鉄則のようですね。
パーキンソン病の今現在の病状は?
2015年、ノンフィクション作家である小松成美さんの著書「熱狂宣言」の中で、松村厚久さんが30代後半から難病指定の疾患「若年性パーキンソン病」を患っていることを公表しました。
この書籍は、実売約10万部を記録する大ベストセラーとなりました。
パーキンソン病は、脳の一部の神経が変性してしまうことで、運動障害があわられる病気です。
主に、手足の震え・動きが遅くなる・筋肉が固くなる・体のバランスが悪くなるなどの症状が引き起こされてしまいます。
日本には約15万人の患者さんがいると言われており主に中高年に見られる病気なのですが、まれに40歳以下で発症するケースもあり、これを「若年性パーキンソン病」と呼ぶのだそうです。
松村厚久さんのようにお若くして発症することは珍しく病気の原因もまだわからない部分が多いものの、意外とパーキンソン病を罹患している方は身近にも多く、私の知り合いでも患者さんはいます。
有名人では、モハメド・アリさんや、ハリウッドスターのマイケル・J・フォックスさんもパーキンソン病を公表していますね。
松村厚久さんの今現在の病状としては、立てなくなったり、歩けなくなったり、うまく話せないことも多々あるのだそうです(時に痛みと体のこわばりで動けなくなるようです)。
しかしそれでも「1000店舗・売上高1000億円」の目標に揺るぎはなく、松村厚久さんを慕うたくさんの周りの協力者の方々の力を借りながら、今日も松村厚久さんは全力で仕事をしているのだそうです。
ドキュメンタリー映画の動画で少し最近の様子が分かると思います。
映画「熱狂宣言」の予告編です。
こちらの動画も最近のもののようです。
調子が良さそうなときと、悪そうなとき、というように、波があるようですね。
辛いときには休んで~と言いたくもなりますが、映画「熱狂宣言」のサブタイトルに「止まったら死ぬぞ」とあるように、止まってはいられない方なのだと思います。
一方、2018年11月のニュースでは、iPS細胞によるパーキンソン病の治験が始まったことが報道されていました。
まだ臨床試験がはじまったばかりで、治験が終わるだけでもあと3年はかかるようですが、パーキンソン病の方々には待ちに待ったニュースだったのだと思います。
安全性や有効性を確認できれば、4~5年後には一般のパーキンソン病の方々へも保険適用での治療ができるようになるのだそうです(時期については確定ではありません)。
松村厚久さんのような著名な方が表舞台で活躍されることで、パーキンソン病に苦しむ方々への新たな治療方法が一刻も早く承認されるようになるといいな、と私は思います。
そういう意味でも松村厚久さんの現在の第一線での活躍は、業界関係なく大いに影響があるのではないでしょうか。
病状はゆっくりと進行する病気とはいえ、数年後に新たな治療法が確立されるまで、松村厚久さんには引き続き支えをたくさん借りながら頑張って頂きたいと思います!
まとめ
大学時代のアルバイトの経験をきっかけに飲食業界へのめりこんだ松村厚久さん。
ここまで会社を大きく成功させてきたのも、すべては「楽しいから、楽しんでもらいたいから」という気持ちであり、そこに共鳴した多くの人たちに囲まれて幸せに仕事をしているということが分かりました。
また、そのような社長ですので、パーキンソン病の病状によってはうまく体を動かすことができない場面でも、松村厚久さんにすぐに手を差し伸べてくれるような人々が周りにたくさんいる、ということもわかりました。
病気のことは心配もありますが、これからも周りのサポートを受けながら、より一層仕事に邁進し、会社も大きく成長していくのだと思いました。
今後の松村厚久さんの活躍からも目が離せませんね!