今日も引き続き、フィギュアスケートの佐藤駿さんについて、気になることを調べていきたいと思います。
佐藤駿さんは仙台出身ですが、2011年の震災ではご自宅も被災し、スケートを続けるために関東に転校までした経験があるんです。
そしてそんな経験を乗り越えて一回り大きくなって仙台に戻った佐藤駿さんを陰ながら支え続けてきたご家族も凄いですよね。
また、出身中学校や2019年現在の高校はどこで、佐藤駿さんはどんな小学生だったのでしょうか。
気になる今のコーチと合わせてご紹介したいと思います。
プロフィール
佐藤 駿(さとう しゅん)
生年月日: 2004年2月6日
年齢: 15歳 (2019年12月現在)
出身: 宮城県
身長: 157cm
所属: 埼玉栄中学校
趣味: 読書、音楽鑑賞
【#全日本フィギュア 男子FS】#佐藤駿 FD127.75点、合計185.52点
— スポーツナビ フィギュアスケート編集部 (@sn_figure) December 24, 2017
詳細 ⇒ https://t.co/K5xrq7UYGo#フィギュアスケート #figureskate #スポーツナビ(写真:坂本清) pic.twitter.com/0eXf1wxxvI
佐藤駿さんは5歳の誕生日に父親とスケートに行ったことがきっかけで、仙台市にある、荒川静香さんや羽生結弦選手も練習の拠点としていた「アイスリンク仙台」でスケートを始めました。
しかし佐藤駿さんが小学校1年生だった2011年3月、東日本大震災で被災。
「アイスリンク仙台」も営業休止になったことで関東に転校。5か月後に仙台に戻り、仙台で練習を再開しました。
その後は、数々の大会で優勝したり、史上4人目となるノービス4連覇達成など、輝かしい成績を残し、羽生結弦選手の再来とも言われています。
2016年、仙台市立高森中学校に進学しますが、2018年春には父親の転勤で埼玉へ引っ越し、埼玉県の中学校に転校。
2019年現在は、埼玉栄高校に進学しています。
埼玉県に拠点を置いて、2022年の冬季オリンピック(北京五輪)での優勝を目標に、様々な大きな大会にも挑戦し続けています。
家族は?被災経験を乗り越えて
羽生結弦選手と佐藤駿さんのホームグラウンドであった「アイスリンク仙台」が、2011年の東日本大震災で被災し、営業ができなくなってしまうというニュース、まだ記憶に残っている方も多いと思いますが、佐藤駿さんが被災したのは小学校1年生の時だったそうです。
仙台の自宅は半壊してしまい、車の中で家族と一週間ほどの生活を強いられていたのだそうです。
小学校1年生ではすべてを理解するにはまだ難しい年齢ですが、生涯にわたる記憶に残るには十分な年齢ですから、さぞかしご両親も大変な思いをされたのだと想像します。
そんな中、佐藤駿さんは家から持って出たものは「スケート靴」だったそうです。
本当にスケートがとても大切だったんですね。
小学校1年生でそんなことを判断して行動できるなんて凄いなぁと思います。(うちにも同じような年ごろの男子がいますが、自分の習い事の道具のことなんて、家に帰るまで思い出さないに違いない!)
しかし靴はあっても、練習場は営業休止。
そこで、佐藤駿さんは、スケートの練習場所を求めて、関東に引っ越しをする、という決断をしたのだそうです。
小学校も転校し、東京の祖父母のうちからバスと電車で1時間の距離にある川越市のスケートリンク「川越スケートセンター」に通ったのだそうです。
驚くのは、転校してまでして川越でスケートをしたい、と決めたのは、他でもない、佐藤駿さんご自身だったのだそうです。
仙台にいても練習もできず辛いことも多かったとはいえ、小学校1年生でよく決断できたな、と感心します。
そして片道1時間もかかる「川越スケートセンター」まで「毎朝」「一日も休むことなく」練習に通ったのだそうです。
この川越での経験が佐藤駿さんの大きな心の成長にもつながったのだそう。
いまだに多くの仲間が川越にいるのだそうです。
そして5か月後、「アイスリンク仙台」がようやく復活し、佐藤駿さんは再度、仙台に戻ってきています。
そして仙台時代も毎日学校帰りの佐藤駿さんをお母さんがアイスリンク仙台へ送迎していたのだそうです。
私も子供たちの習い事の送迎は良くしますが、一週間に1,2度でも大変だと思うのに、毎日送迎だなんて、本当に大変だと思います。
他のご家族の協力もなしには実現できないですよね。
また、小学校5年生くらいのときには、フィギュアの腕を磨くためにバレエも習い始めたのだそうです
ご両親も、佐藤駿さんのスケートを応援するためとはいえ、震災も経験した中、子供の将来を考え、全力で今日まで支え続けてきているのですから、凄いなぁと思います。
やはり一流になる選手は、ご本人の情熱はもちろんですが、ご家族の協力と覚悟も一流なんですね。
出身小学校と今の中学校は?
本当にスケートが大好きで小学生であっても練習に打ち込む姿は真剣そのもの、という佐藤駿さんですが、小学校ではどんな子供だったのでしょうか。
まず、出身小学校は「仙台市立高森小学校」というところでした。
仙台の小学校では、クラスでも明るい子と評判の生徒だったようですね。
学校では楽しく勉強をしたり、友達と遊んだりしていたそうで、真剣なスケートのときとはまた違って、とてもリラックスして小学校生活を楽しんでいる、ごく普通の少年、という感じだったようでした。
その後2016年に「仙台市立高森中学校」に進学し、2018年春にお父さんの転勤で埼玉県に転校。
2018年より、さいたま市にある「埼玉栄中学校」に通いました。
調べてみると、こちらの学校は私立の中高一貫校でサッカーや卓球、女子陸上など多くの部活が全国大会に出場するほど、スポーツも盛んな学校だそうです。
そういう環境だと、学校でもお友達と大会の話とかもできそうですし、スケート活動もしやすそうですね!
しかも中高一貫校ですから、高校進学のための受験勉強はほとんどないと思いますので、そこもスケートに集中できる環境となっているのではないかなと思います。
2019年、現在は埼玉栄高校に通学しています。
2019年現在のコーチは誰?
本人の努力や才能が強い選手になるために必須なのはいうまでもないですが、やはりコーチやスケートの環境によってその選手の運命が決まる、といっても過言ではないと思います。
仙台にいるときは、「アイスリンク仙台」で指導をしているコーチの一人であり、ジュニア選手権でも好成績を残した選手であった、浪岡秀(なみおかすぐる)コーチに従事していました。
2018年春からは、埼玉県上尾市にある「埼玉アイスアリーナ」で練習していますので、新たなコーチについているはずです。
調べてみると、埼玉アイスアリーナに所属している日下 匡力さんと浅野敬子さんがコーチをしているようでした。
どちらのコーチも、震災後に佐藤駿さんが「川越スケートセンター」で練習していたときに佐藤駿さんの指導をしていたコーチのようです。
コーチの異動?と思い更に調べみると、川越スケートセンターは、2016年に閉鎖してしまっていました。そして閉鎖後は、近隣の埼玉アイスアリーナに経営統合されたのだそうです。
それできっとコーチたちも川越スケートセンターから埼玉アイスアリーナに異動になったのかなと思います。
いずれにしても佐藤駿さんが川越時代に大きく成長を遂げることとなった立役者のコーチのもとで再び指導を受け始めたのですから、これから伸びるイメージしかないですよね。
本当に将来が楽しみな選手です!!
GPFジュニア男子FS
— コバはち⛸ (@kobahachi) December 7, 2019
🇯🇵佐藤駿選手 (埼玉栄高)
1️⃣ 4ルッツ🌈
2️⃣ 4トゥループ+3トゥループ☀️
3️⃣ 4トゥループ🌈
4️⃣ 3アクセル+2トゥループ☀️
5️⃣ 3アクセル🌈
6️⃣ 3フリップ+オイラー+3サルコウ☀️
7️⃣ 3ループ☀️
FS得点 177.86
総合得点 255.11
やったぞー❗️❗️❗️✨✨✨😆😆😆
おめでとう❗️🎊🎉㊗️ pic.twitter.com/W3zVFgxwlp
2019年、フィギュアスケートのジュニアグランプリ(GP)ファイナルで、見事、佐藤駿が優勝しました。
おめでとうございます。
まとめ
佐藤駿さんは、ご家族の協力やコーチの的確な指導を受けながら今もなお、目覚ましい成長を遂げている、今後さらなる活躍が見込まれる選手であることが分かりました。
さらに、仙台時代に羽生結弦選手と同じスケートリンクで練習していた佐藤駿さんは、羽生選手の「練習で何度ころんでも立ち上がる」姿を見て憧れを抱いていたそうですので、あえて難易度の高いジャンプにも果敢に挑戦する選手となっています。
リスクを承知の上で結果を恐れずに挑戦し続けている佐藤駿さん。
前人未踏の記録を残す日もそう遠くないのかもしれませんね!
これからの活躍を期待しましょう!全日本フィギュアスケート選手権などでも頑張ってください。